---あれは確か、まだ私がこの時代に来たばかりの十代の頃---


「晋作さん。」


久々に呟いた、その人の名前。

今でも変わらない想いで、私は貴方の傍に居るよ。


----晋作さん。

・・・
・・・・
・・・・・

"面白娘..."

"お...い、面白娘"
『おいっ!面白娘!!』

「ん...。うわぁ!」

「? 何をそんなに驚いているんだ?」

「だ、だって、起きたら目の前に晋作さんが...!!」

---

桂さんと一頻りお話した後、陽の暖かさに私は転寝してしまった。

外に出るのが億劫になりそうなくらいに照りつける陽。

そんな中---『面白娘っ、ちょっと此方へ来い!』

晋作さんに外へ来いと誘われる。

暑さから、少し...結構面倒に感じながらも

晋作さんの陽に照らされた笑顔に誘われて、

私は口に氷を一つ頬張って、部屋を出た。


「こいつを見てみろ!!」

「...?」
晋作さんが笑顔で指差した先には---

・・・・・
・・・・
・・・
・・


89.jpg

「あ...。」

「俺、初めて見た...。」


晋作さんの指差した先には、

出て来たばかりで、まだ土を被っている蝉の赤ちゃん。

私も、初めて見た...。


「おっ、今背中割れたぞ!」

「本当だ!」
割れた蝉の背中から、白く半透明な羽が見える。

「萩にも蝉は居たんだがな...。羽化を見たのは今日が初めてだ。」

「私も...。」


子供のような明るい笑顔で笑う晋作さん。

...一緒に見る事が出来て良かった。

心から、そう思った。

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蝉の赤ちゃんは、一生懸命カラから白い羽を抜きだそうとしている。

...思わず、手を伸ばしたくなる。


でも、私がこの子に触れる事は無かった。

何故だか、私なんかが到底触れてはいけないものに感じたから...。


「おい、暑いからそろそろ戻らないか?」

「まだ、見てます。」

少し呆れるように笑った晋作さんの顔は、

背中越しの私からは見えなかったけれど...。

「じゃあ、会合に出てくる。良い子で待っていろ!」
私の返事を聞くと、晋作さんは藩邸の中へと戻っていく。


---少し静けさが増した夏の空の下、

しばらく、私は蝉を眺め続けていた。

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90.jpg


気付けば、もう辺りは夕日に染まり始めていた。

ずっと見ていた蝉の赤ちゃんは、

もう"赤ちゃん"じゃなくなっている。

もうすぐ、飛び去ってしまいそうな位、

立派にカラを破って外へ出た。


「おっ、まだ見ていたのか!」

「晋作さん!」


龍馬さん達との会合を終えた晋作さんが、ちょこんと私の傍に腰を下ろす。

「こいつ、ちゃんと自分の力で出たんだな。」

「うん...。」

「手を出さなかったお前も偉いぞ!」

そう言って、いつもみたいに私の頭を強めに撫でる晋作さん。


...こんな、何気ない一瞬一瞬が、今では私の大事な宝物たち。


夕日に染まる晋作さんの横顔。

...いつも傍にいるはずなのに。

今日の晋作さんの横顔は、このまま...

夕闇と一緒に消えてしまうんじゃないかって思うくらい、

儚くて、切なくて。


...灯篭のひかりみたいだった。



「ほら二人共、もうお入り。」

「桂さん...。」

お盆を持った桂さんの言葉に振り向く。


少し名残惜しい気がしたけれど、

私と晋作さんは部屋の中へ戻っていく...

その時だった。


「ジジッ---」

「わっ!」 「おおっ!?」


さっきまでゆっくりと羽を伸ばしていた蝉が、

勢いよく夕暮れの空に向かって飛び去って行った。

私の着物に、水を引っ掛けて...。

「っ---!」


「ははははっ!あいつお前に小便引っ掛けてったな!」

「わ、笑い事じゃないです!!」

「はははっ!!」

「ちょ、ちょっといつまで笑ってるんですか---!」

ぽん。

「っ---?」

...さっきと同じように、私の頭に手を置く晋作さん。

髪の毛を、くしゃりと乱したりはしない。


ふと見上げた横顔は、もう遠く離れた空をまっすぐ見つめていた。


「あいつはお前に礼を言ったんじゃないか?」

「お、れい...?」

「ああ。ずっと見守ってやっていたんだろう?」

...どうして、晋作さんの言葉はこんなにもまっすぐと心に収まるんだろ。


「ちょっと、変わった"有難う"でしたね。」

「まあ、蝉だからな!」


消えてしまいそうな晋作さんの瞳に映ったのは

遠い空に、少しずつ輝き始めた夜の星たち。

...人の瞳って、こんなに綺麗なものだったんだ。

硝子玉のように透き通る晋作さんの瞳。


「あのっ----!

「ほら、冷めてしまうよ。早くしなさい。」

「はいはい、小五郎君。」

「あっ...。」


大切な、何かを言いそびれた気がする。

...でも今は、お腹いっぱいになって、

また晋作さんとお話しよう。


私と晋作さんは美味しそうな煮物の匂いと

桂さんの声に誘われて部屋へ戻って行った---

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「ごほっ、ごほっ...!がはっ!!」

『晋作!! 晋作さん!!』


----あれから七年。

蝉を見送って、丁度一年後のことだった。

晋作さんが、体調を崩し、床に伏せるようになったのは...


「...晋作は、労咳なんだ。」

あまりにも聞きたくなかったその言葉。

"労咳" "労咳" "労咳"

その言葉が、頭の中をずっと巡り続ける。

晋作さんらしくない、あまりにも静かなその最期は、

まるで、長年眠り続けた蝉の命が儚く消えてしまうようだった---


・・・
・・・・
・・・・・

「口吸い、してやれなくて、すまん...。」

「何言ってるんですか...!」

「お前に...感染しちまうのが、怖い。」

「晋作さんっ...!」


『...だから、口付けくらいは、許してくれ。』

耳の奥にじんと残る晋作さんの声と、

あの時、確かに頬に感じた柔らかな感触。


"忘れられない"

その想いは募るばかり。

どうすれば、また逢えるのでしょうか。

貴方の温もり。

貴方の強さ。

すべてに。


願えば、すべてが許されるのでしょうか---


晋作さんがいなくなったその日。

私と桂さんは、抱き合って泣いた。


泣いちゃいけないって思う度に、

涙は止まらくなって零れ落ちていく。


「娘さん。...私はね、是を一つの運命だと感じている。」

「さ、だめっ...?」

「...ああ。そして己に対するけじめだとも。」


『私は、今日から"木戸孝允"だ。』


「きど...たかよし...?」

「...だがね娘さん。君だけには、これからも"桂小五郎"と呼んで欲しい。」

「っ---桂さんっ...!!」


きっと、もしも晋作さんが生きていても、

桂さんは晋作さんに同じことを言ったと思う。

思い出を、消したくないから。

ずっとずっと、遺しておきたいから---

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晋作さんが大好きだった梅の樹を焦がすように

今年もまた、日は照りつける。

あの日飛んで行った、蝉の声と共に---



『拝啓 高杉晋作様

お元気にしていらっしゃるでしょうか。

なかなか顔もお見せ出来ず、申し訳ありません。

変わりありませんか。私と木戸さんは、変わらずやっております。

・・・
・・・・
・・・・・

ごめんね。晋作さん、やっぱりいつもみたいにお話します。


今年も、またこの長州藩邸の在る京の街に夏がやってきました。

今まで当たり前にやってくると思っていた夏も

あの日以来、特別なものに感じます。

そして私と桂さんは、今日、長州藩邸を発ちます。


晋作さんと過ごした僅かな時間。

この地を離れるのは、とても名残惜しいけれど...

きっと、必ず戻ってきます。

あなたの、晋作さんのもとに。

だから私を、忘れないで---』


"誰が忘れるか!!"


「えっ...!しん、さくさん...?」

...
....
.....

あ、れ。何も聞こえてこない。

空耳、だったのかな。


一瞬聞こえたその声に筆を置いた私は、

筆先に一滴墨汁を垂らし、また筆を進める。


『...そうそう、聞いてください。

あの日、晋作さんが見つけた蝉の子と同じ場所に、

また、蝉の赤ちゃんが居たんです。


...きっと、あの子の生まれ変わりですよね。

だって。

だって...、

その子を見つけた時に、貴方の姿が見えたんですもの。』


筆を持つ指が、少し震える。

書いているだけで、涙が零れそうになる。


『...もう、お伝えすることはありません。

後悔も、泣き言も、ぜんぶ。

あの日、偶然見つけた貴方の姿。

出逢えて良かったって、心から思えるから。


愛しています、晋作さん。

ずっと、いつまでも。此れからも。

面白娘』


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筆を置き、庭へ出る。

晋作さん。

もう少しだけ、待っていてください。

私が、この夏の風を優しく受け止める事が出来るまで...

きっと、あと少し。

だから-----


「娘さん---そろそろ出よう。」

「あっ...。」

「晋作に、お別れはしたかい?」

「今から、言ってきます。」

「そうか、焦らないで良いよ。...好きなだけ、伝えておいで。」

「はいっ----!」


----私が向かったのは、晋作さんがあの子を見つけた木の下。


『---晋作さん。』

貴方に、恋をしていました。

それはあまりに短く切ない恋だったけれど

貴方を好きになったのに理由なんていらないの。

ただただ好き。

それだけ。


『愛しているじゃ、足りないくらいに…愛していました。』

私は書き終えた手紙を木の下にそっと置くと、

藩邸の門へ急ぐ。



「小五郎さんっ---!」

貴方がそう呼んだように、今日も私は、彼の名を呼び続ける---



『愛している、面白娘。』

---お前だけを、見守り続ける

いつか俺の元に来る、その日まで---

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