「小娘、今日は蕎麦屋へ行くぞ。」

背中から聞こえる、大久保さんの声に思わず振り返る。
暫く、目が合ったまま時間が止まる。
・・・
・・・・
・・・・・
「・・・小娘、何だその目は。不満でもあるのか。」
大久保さんの言葉にハッとする。

「不満なんて無いですよ!何か、大久保さんと出掛けるのが久々だったから…驚いちゃって…。」
しかもお蕎麦屋さんなんて…
向こうにいた時からお蕎麦大好きだったし、何時ぶりだろう…お蕎麦。
色々なお蕎麦が目に浮かんでニヤニヤしてしまった。

「小娘、何を笑っている。気味が悪い…。喜んでいるのなら素直にそう言え。」
すかさず私が答える。
「だってお蕎麦ですよ!私お蕎麦大好きなんです!」

そう私が答えると大久保さんは一瞬驚いたような顔をした。
あれ、何か可笑しな事言ったかな?

「やはり、お前は大した娘だな。」
呟くように大久保さんが言うと一着、畳に着物を置いた。

「その着物はいい加減見飽きた。さっさとそれに着替えて用意をして来い。」
そう言うと大久保さんは手をひらひらとさせて、部屋から出て行ってしまった。

早速、着物を手に取る。
…この柄、私がお母さんに貰った手鏡と同じだ…。
毎朝、あの手鏡を使って髪を整えていたのを大久保さんは見ていたのかもしれない。
私は着物を着替え、懐に手鏡を入れて藩邸の門へ急いだ。


着替えて藩邸の門へ向かう。
何度も手鏡で確認した。どこも乱れていないかな…。
門の前へ来ると既に大久保さんがすっと佇んでいた。

思わず、足が止まってしまう。すごく、綺麗だったから。
裾の長い着物と葡萄色の髪を靡かせて、風に身を任せている。

「わぁ…」

思わず感悦の声が零れてしまって…。
大久保さんの佇まいと、自分を見比べてしまう。
…やっぱり、大久保さんに私なんか合わないよね。少し、気分が下がる。

「おい、何をつっ立っている?準備が出来たならもう出るぞ。」
“どれだけ待ったと思っている”と大久保さんはすたすた歩いて行ってしまった。

「あっ、待って…」
私は大久保さんの背中を必死に追う。
でも、やっぱり大久保さんと一緒にお蕎麦を食べられるなんて幸せだなぁ。
まさか誘って貰えるなんて思ってもみなかったし…。

今日は目一杯楽しもう、そう心に決めて私は大久保さんの手を取った。


-薩摩藩・大久保利通-

驚いた。
この娘が、このような女々しさを浮き彫りに出来るとは。

実際に着物を見飽きたのもあるが、今日一日くらい、
華を持たせてやろうと小娘が毎日欠かさず使っている手鏡の柄で仕立ててやったのだが。
ここまで上玉だったとはな。

髪を結い、群青色の簪を刺して私の手を取る小娘を見て、
改めてこの娘の美しさに気が付いた。

…今まで、女というものには幻滅していた。
私にとっても、日頃の鬱憤を晴らす道具でしか無かった訳だが。
この娘は微塵も汚さが無い。
まだ男を知らないのだろうが、
小娘の瞳に見つめられると何故だか今までの女達に対して自責の念に駆られる。
…私には到底真似出来ない何かがこの娘にはあるのだろう。

それに蕎麦屋へ行く意味も存じないとは…。やはり人を魅了するだけの事はあるな。
思わず苦笑する私に、小娘が不思議そうに尋ねる。

「どうしたんですか、大久保さん。…もしかしてお蕎麦屋さんの道間違えたとか⁉」

…そうだ、その瞳だ。私を見上げるその瞳に、
私は底知れぬ罪悪感や恐怖を感じ、長く見ていられなくなる。

「私が道に迷うとでも思うのか?」
「思いませんけど…。」
「なら無駄口を叩くな。」

私が言うなり小娘は萎んだように元気が無くなり、
「すみませんでした…」と俯いた。
私の着物の袖は、小娘の椛の様な可愛らしい手に掴まれたまま。
小娘の小さな椛に触れると、一瞬身体を震わせる。
小娘の手は冷たく冷えていた。

「…何だ、寒いのか?もう、秋だからな。」
握った椛に少しだけ力を込めると、小娘もそれに返事をするように握り返した。
「大久保さんは、温かいですね。」
朝顔の様にふわりと優しい笑みを浮かべた小娘は、とても幸福そうに見えた。

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--
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“此所だ。”と手を引かれ入って行ったのは、何だかとても高級そうな和風料亭だった。
改めて大久保さんの凄さを感じる…

「えっ、お蕎麦屋さんじゃなかったんですか?」
「阿保か、暖簾を良く見ろ。ちゃんと蕎麦屋だと書いてある。」
大久保さんの言葉に促され、暖簾の字を目を凝らして見てみると、
細長いニョロニョロした字で“蕎麦”と書いてあるのが分かった。

「あっ!本当だ…。」
救いようが無い…といった感じで私を見る大久保さんに苦笑いしつつも、席へ案内される。

あれ…。一階じゃなくて二階なんだ。
一階の方が他のお客さんもいて、気兼ねない感じで良いんだけどな。

そんな私を他所に、大久保さんとお店の人はさっさと階段を上っていく。

「こちらになります。」
そう言って案内された席は、二人部屋の個室席。
小さな円形状の窓から外を見ると、活気付いている京の街が一望出来る。
暫く外を眺めていると、大久保さんが不満そうに私を見ている。

「小娘…お前は私の顔を見るのが其れ程不満なのか?」

何でそうなっちゃうの‼と叫びたいのを心に閉まって、しっかりと大久保さんの方を向く。
すると大久保さんはまた一瞬驚いた表情をした。
…もう一度大久保さんの顔を見ると、優しく微笑んでいた。

「お前は何時でも私だけを見ていろ。」
...そんな事を言われたら、顔が見にくくなってしまうのに。


-薩摩藩・大久保利通-

しまった、あんな台詞を吐くつもりは無かったのだが。
私とした事が、全く小娘の前ではつまらぬ過ちばかり起こしてしまう。

…だが、小娘が窓から外を覗いている姿は籠に閉じ込められた小鳥が、
外へ向かって羽ばたく事を切望しているようにも見えた。
未来へ、戻りたいのだろうか。

そう考えた途端、私の口からは自然と言葉が零れていた。

「小娘…、お前は戻りたいか?未来へ。お前が居るべき世界へ…」
暫く、時が止まったように沈黙が続く。

ふと小娘の顔を見ると、真珠のような涙をほろほろと落としているではないか。

「…おいっ、こむすめ…!」
私の言葉を遮るように、小娘が言う。

「大久保さんは…私に、居なくなって欲しいですか…?」

私は耳を疑った。
違う…、そうではない。

わ、たしずっと考えてました…。大久保さんに、
私なんか不釣り合いかもって…。大久保さん、とても素敵で格好良いから。


この娘は、今日一日そんな馬鹿げた事を考えていたのか。
何を言っても上の空だった理由が分かった。

怒りも度を越すと笑いに変わる
小娘から学んだ数少ない教養の一つだ。

「ふっ、あははははっ、こ、小娘、お前は、本当に…!」
久方ぶりに腹を抱えて笑ったせいか、鈍い痛みが横腹を襲う。
きょとんとした小娘を他所に私は暫く笑い続けていた。
・・・
私は暫く笑い尽くした後、自分の目元の涙を拭うと軽く咳払いをし、小娘と向き合った。

「…小娘、お前は男と女が蕎麦屋に入る、ましてや個室に入る意味が分かるか?」
小娘は瞳を雪兎のように紅くし、黙って首を横に振る。
私は呆然としている小娘の横へ腰を下ろし、目を見て言った。
もう、小娘の瞳など恐くはない。

「…---。」
初めて小娘の名を呼ぶ。
小娘もそれに反応し、私を見る。

「逢瀬。逢引だ。意味は、分かるな?」小娘は驚いた拍子に、私の名を呼ぶ。

「大久保さん…。」
私の名を呼ぶ小娘を己の身体に強く抱き寄せた。

「帰ろうが帰らまいかはお前の自由だが…私はお前を帰すつもりはない。」
「ッ…!」抱きしめる力を強める。

「一生、傍に居て欲しい。そう思う、私は我が儘か?」
我ながら意地の悪い質問だと自覚しながらも、小娘に問う。

「…己の心に、よく問うてみろ小娘。」
小娘の口がゆっくり開くのを見届けると、
私はそっと小娘の口に耳を近付けた。

「私は、大久保さんと...利通さんと一緒に居たい。」
半分、言わせたようなものだが、互いの気持の一致に安心を覚える。

「逢瀬というのは、こういうものだ。男女がお互いの気持を確認し、愛を確かめ合う。」
顔を赤くして小娘は黙って聞いている。

「だが、ここでは逢瀬の続きは出来ん。この先はまだお預けだな、小娘。」
呼び方をまた"小娘"へ戻すと、頬を上気させた小娘が言う。

「私、そんなに子供ではありませんよ。大久保さんが思っているよりも、きっと。」
上目遣いでそんな事を言う小娘に、箍が外れそうになるが、もう少し、挑発する。

「ほう、ならば逢瀬の続きで存分に発揮してもらおうではないか。」

私がそう言うと、小娘は受けて立ちます!と元気よく笑った。
本当に、意味を分かっているかは知らぬが、私が見たかったのはこの娘の笑顔なんだと実感する。

---

店を出た後の帰路、私は小娘の少し先を歩いていた。

なかなか小娘の足音が聞こえてこない。
少し後ろを振り返ると、小娘が小さな高台に登り、景色を眺めていた。

「おい、小娘何をしている。」
声を掛けると、小娘は静かに振り向き、こう言った。

「今日の景色を閉じ込めておきたかったんです。記念日だから・・・。」
「記念?」
「はい、記念です。今日は私がこの時代に来て、一番大久保さんの近くに居れた日だから。」

この娘は…。飼い慣らされた犬のように愛嬌を振り撒く。
そして、この私までをも虜にする。


夏が終わりを告げ、秋が挨拶を始める。
“歓迎してくれ”とでも言うように吹く肌寒い風は、
夕暮れ迫る空を見上げる私達を包み込むように通り抜けていった。

透き通る空気には二人の愛を囁く声が響く。

「小娘、愛している。」
「私も、大好きです。」
「“大好き”…では通用せん。」
「…愛しています、利通さん。」

小娘が私の目にかかる前髪を耳に掛けると同時に、小娘は私の頬に軽い口付けをした。
夕陽の所為だろうか、それとも口付けの所為だろうか。
二人の頬は微かに朱色に染まっていた。

37.jpg

日が沈み始めると、私はは静かに瞳を閉じ、優しい風に身を任せた。
己の命が消えようとも、小娘だけは守り抜く…という決意と共に。

煌々と光る星の中、隣で眠ってしまった小娘に気付かれないよう、私はは一人呟く。

…これが浪漫か。

逢瀬の続きは、まだ先だと実感し眠っている小娘を背負い、秋の風を背に歩く。
明日も明後日も、今日の様に素晴らしい日が続くよう。
私はは星に願いを込め、また歩いてゆく。
いつか訪れる、その日まで。

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