「姉さん、帰れる方法が見つかって良かったっスね!」
「ようやく、君も安心出来るな。」
「...お疲れさん。」
寺田屋の皆から、おめでとうと声があがる。
...帰りたく、ない。皆と出会ったのも...。
龍馬さんと巡り会えたのも、結局ぜんぶ、神様の悪戯なのかな?
あの日、あの時あの場所で、貴方と出会えたこと…。
ぜんぶぜんぶ、誰かが描いた筋書きだったの…?
だったら私は、今…。
彼に“ありがとう”と、心の底から伝えたい。
湧き上がってくる感情を、彼に残したい。
少しでも、私が“ここ”に居たことを刻みたいの。
例え、私がすぐに消えてしまっても、
この時代に後悔を残さないように。
今、貴方に伝えるよ龍馬さん。
---
----
-----
「皆、ありがとうございます。」
嘘。
この時代に来て、初めての嘘。
もう、ここに残ることが許されないのなら、
きっと最初で最後になると思う。
自分で導き出して、選んだはずだった"答え"も、
どんどんあやふやになって...。雲行きの怪しい空みたい。
「私、支度してきます。」
部屋を、出る。
私は、どうしたいんだろ。家族や友達をあっちに残して…。
一体どうするつもりなんだろう。
でも、やっぱり…
「ッ...。帰り、たくないよッ...。」
部屋を出た途端、急に天気が崩れたみたいに...。
さっきの雲行きの悪い空が土砂降りになる。
どうして、だろう。
どうしてこんな事になったのだろう...。
今、この場にいない、彼の名前を呼ぶ。
「...龍馬、さん。」
彼の名前を、呼ぶ度に思う。
この時代で、こんなにも愛おしい、大好きな人に出逢えたのに。
何故、今私は未来に引き寄せられてるの?
離れてばなれになる運命ならば、最初からここに連れて来ないでほしかったのに。
「...娘さん?」
ふと、名前を呼ばれた。
…その声で、一番愛おしい人だと分かる。
“泣き顔を見せたくない。”
私の弱くて、中途半端な自意識が振り返るのを拒否する。
「…どうして笑ってくれんが?」
龍馬さんの自然な言葉が、氷柱のように胸に突き刺さる。
私が今まで笑ってこれたのは、龍馬さんがいつも隣にいたから。
離ればなれになると分かった今、私は笑顔を繕うことが出来ない。
「……。」
「…すまん。」
…その言葉に、私は龍馬さんを振り向く。
どうして、どうして謝るの?
私は、貴方に感謝を伝えたいのに…。
また、空回りしてしまった。
私に、勇気が足りないから…?
強くなるにはどうしたら良いの…?
私は、何も無い廊下に向かって龍馬さんの名前を呼んだ。
…無情にも響き渡る彼の名前。
「…龍馬さん…。」
何度名前を呼んでも、満たされることのないこの想い。
龍馬さん、弱くてごめんね。
-土佐藩・坂本龍馬-
わしは、庭へ出て一人思い更けていた。
...あん子が泣いちゅうがを見てしもうた。
それはまるで雨露のようじゃった。
「天女様の涙なぞ見とうなかったのお...。」
"帰りたくない"
あん子は確かにそう呟いた。
近い内に戻ることを分かっていて話しかけた、わしは本当に臆病者じゃ。
「...もう暫くは"泣き虫龍馬"の称号は拭えんか。」
この世から、過去も未来も消えてしまえば、
あん子と自由に過ごすことが出来る。
「わしも、本当は帰したくないんじゃが...。」
一人、溜息雑じりに呟くとそっと瞳を閉じる。
どんな時でも、浮かんでくるのはあん子の笑顔ばかり。
「どうしたら、もう一度笑ってもらえるかの...。」
送りだす時には、わしも笑顔で送りたい。
...けんど、それは叶いそうにない。
こがにも胸が締め付けられては、最高の笑顔なんて作ることが出来ん。
そう、考えるとわしのあん子への言葉は、少し酷だったかもしれん。
「すまん...」
あん子の涙を見て、また一歩踏み出す勇気が奪い取られていく...。
どうすれば、強くなれるが...?
・・・
・・・・
・・・・・
ずっと、一緒に居れると思って貴方に捧げた詩。
そんなの、今じゃただ悲しいだけ。
龍馬さんと出逢ったあの夏の日に、戻りたい。
きっと今なら全てを受け入れられる。
今、あの日に戻れたら、私はきっと...。
今まで龍馬さんの傍で過ごしてきた日々を、もっともっと大切にしたはず。
「何で、私はここに居るんだろ...。」
自分の存在が馬鹿馬鹿しくなってくる。
貴方と過ごす為に、残ることを決意したのに...。
どうして、今帰されるのだろう。
手元にあるのは夏祭りのとき、龍馬さんと一緒に作った蜻蛉玉。
私の蜻蛉玉はとても不格好になってしまって...。
でも、龍馬さんは"可愛い"と言ってくれた。
二人で作ったもの同士交換して、私はいつでも傍に置いている。
龍馬さんがいなくても、寂しくないように。
...手に取って、眺める。
綺麗な硝子は、私の泣きそうな顔を映してる。
本当、情けないな…。
…でも、何でだろう。
この蜻蛉玉を見ていると、少しだけ、ほんの少しだけ心が軽くなる。
「...ありがとう、龍馬さん。」
私はそう呟くと、悲しそうに去って行ってしまった、龍馬さんの背中を追った。
龍馬さんの去った方向へ向かうと、お庭に着いた。
縁側に腰掛けている龍馬さんは、転寝しているようだった。
いつも、温かさが背中に滲み出ている龍馬さん。
...今日は寒そうに、凍えるように柱へ身を預けている。
「龍馬さん...。」
龍馬さんに声を掛けるけれど、まだ気づいていない。
...
そっと、横顔を見つめる。
...すっと一筋、乾ききっていない涙の跡。
龍…馬さん…?
何か、夢でも見ていたのかな…。
私は涙の跡をそっと指先で拭う。
「わっ…。」
次の瞬間、突然龍馬さんが私を抱き締めた。
「娘さん…。」
切なそうに私の名前を呼ぶ龍馬さんの声。
彼の声を聞くと…。
何故だか目元に熱いものが込み上げてくる。
「龍馬さん…。」
私が名前を呼んだその途端、
龍馬さんは私を抱く力を強めた。
「…わしは、おまんを帰したくない。」
…!
龍馬さん…。
「じゃがな、娘さん…。」
一瞬、切なそうに笑うと龍馬さんは続ける。
「わしは、おまんにずっと、笑っていて欲しい。」
龍馬さん…?笑っていて欲しいって…どういう意味?
確かに今、私は貴方の隣にいる。だから笑ってこれたんだよ?
一人じゃ…貴方がいなければ、私は笑っていられなかった。
「明日も明後日も、一週間後も、何年後も…。
わしはおまんにずっと笑っていて欲しいんじゃ。」
…そう言って無理やり笑っている龍馬さんを見て、胸が酷く痛む。
私だって、ずっと…永遠に龍馬さんに笑っていて欲しいよ。
…でも私、龍馬さんをこんなに苦しませてたんだ。
「この世は…未来へ続くこの道は、わしらが作っていくもんじゃ。
…寂しくなんて、ないじゃろう。」
「…それは、違います!」
思わず、声を荒げてしまう…。
だって龍馬さんは何も分かっていない。
私が居たいのは貴方が作った未来じゃない。
…いつでも太陽のような笑顔を見せてくれる、貴方の傍に居たいの。
「…龍馬さんはッ、何も…分かってない…。
いつも、こんなに…近くにいたのにッ…。」
私は、少なくとも私は龍馬さんのことを分かっているつもりでいた。
…間違いだったの…?一方通行の、勘違いだったのかな…。
「わしはおまんを…!」
…珍しく龍馬さんも声を荒げる。そして、私を強く抱き締めた。
「…離して…?」
この温もりを、手放したくないはずなのに…。
身体がそれを拒否する。
「……?」
「もうっ、離して…くださいッ…。」
私は龍馬さんの腕からそっと抜けると足早に部屋へ戻った。
…龍馬さんの背中を振り返ることはなかった。
・・・
・・・・
・・・・・
私の足は龍馬さんと別れた後、
あの神社の方を向いていた。
何故だか今、行かなければならない気がしたから...。
神社まで、続く道。
風に誘われ、やって来たこの地。
何も変わらないその景色と射すような陽射しは
龍馬さんと出逢ったあの夏の日を映し出しているみたい。
あの時はカナちゃん…、私のいた時代から離れてしまって
すごく不安だった。
…そんな私を温かな温もりで包み込んでくれたのは、誰でもない龍馬さんだった。
今は、その龍馬さんと離れてばなれになってしまうのが、怖くて堪らない。
それは、やっぱり龍馬さんが好きだから…。
もう、好きでは収まりきれない。
…でもこの気持が消えてしまえば、
私も龍馬さんもこんなに苦しまなくて良いのかな?
もっと、楽になれるかな…?
「…“好き”なんて、消えちゃえば良いのに。」
…思わず口から零れてしまったその言葉に、私は少しだけ後悔した。
しばらく歩いていると、神社が見えてくる。
風が、強く拭き如き、大きな音を立て、樹々は揺れる。
門を潜ると、見慣れた後姿。
「龍馬さん…。」
龍馬さんは縄文縄に向かって、手を合わせている。
風の音で、声は聞こえないけれど…。
私は、その切なげな背中にそっと抱きつく。
「龍馬さん…ごめんなさい…。」
何も分かっていないのは、私だった。
「娘さんもう、良いんじゃ。」
龍馬さんは少し振り向き、微笑しながらそう言った。
もう、良い…って…?
「…わしの考えだけで決め付けてしまってすまんかった。」
私の身体からそっと離れると、龍馬さんは頭を下げた。
「そんなっ、謝らないで…。」
でも、龍馬さんは頭を下げたまま続ける。
「やはり、片時も離れ難い。」
そして、すっと顔を上げると私を熱く、逸らせない位に強い瞳で見つめた。
「わしの…わしの我儘かもしれんが、本当はずっと傍に居て欲しい。」
…龍馬さん、ありがとう。
私は、やっと今伝えられる。
「龍馬さん…ありがとうございます。
ずっと、言いたかった…。私が、もし私がいなくなっても後悔しないように…っ。」
「…!」
私の言葉と共に、ぎゅっと強い力で龍馬さんに抱き締められる。
ずっと求めていたその優しい温度に、私は身を委ねる。
「娘さん…、愛しちゅう。例え、この身が朽ち果てようとも…。」
「…龍馬さん…。」
「やき、“ありがとう”はまだいらん!」
私の大好きな笑顔でそう言う龍馬さん。
この人の笑顔は、本当に心を満たしてくれる。
「…私は、龍馬さんのその笑顔にありがとうって言いたいの。」
真っ直ぐ龍馬さんの瞳を見て、“ありがとう”を伝える。
「…全く、おまんには敵わん。」
龍馬さんは私の髪の毛をくしゃりと撫でて自分に引き寄せた。
「…こんな辺鄙な神社から、まさか天女様が舞い降りてくるなんてのう…。」
私を撫でながら、静かに呟く。
「…私が天女様なら、龍馬さんは王子様ですよ。」
「王子様ぁ?」
「…女の子の、憧れの的です。」
龍馬さんは向日葵のように明るく嬉しそうに笑う。
「わしが女子の憧れか…。わしはおまんだけで十分じゃが…。」
「…私も、龍馬さんだけで幸せです。」
…傾き始めた太陽は、私達を明るく照らしていた。
龍馬さんと寺田屋へ戻った後、私は皆に“戻らないこと”を伝えた。
皆、驚いた顔をしていたけれど、どこかもう悟っていたみたい。
「君の涙を見た時から、僕は分かっていた。」
そんな、武市さんの言葉に皆愕然とする。
「武市おんし!こん子を泣かせたんか⁉」
食ってかかる龍馬さんを、武市さんは鋭く睨みつけた。
「彼女を泣かせたのはお前だろう龍馬。目を真っ赤にして…可哀想に…。」
「わっ!」
“僕なら…”と何か言いかけた武市さんに“にしし”と笑いかけ、
龍馬さんは私の腕を引き庭へ連れ出した。
「びっくりした…。突然過ぎです!龍馬さんは。」
「おお、すまんすまん。つい、な。」
ふと、横に目をやると、そこには一輪の向日葵。
「…龍馬さんみたい。」
思わず呟くと、龍馬さんは“何じゃ⁉”と私の隣にしゃがみ込む。
「…この向日葵、龍馬さんみたいだなと思って。」
「これがか?どうしてじゃ?」
沢山理由はあるけれど…。
「皆を、明るく照らし出しているからです。」
「皆…?」
「寺田屋の皆も、私も、いつも照らしてくれるから…。」
すると、いつも一直線な龍馬さんが、急に私の耳元で囁く。
「わしにとっての向日葵は、おまんじゃ。」
意地悪に笑う龍馬さんに比例して、私の顔も熱を帯びていく。
神様、どうか神様お願いです。
もう少し、もう少しだけ彼と一緒に過ごさせてください。
空を仰ぎ、そう願った私の横には
満開の向日葵のように笑う彼が、いつも隣に居てくれる。
「ありがとう。」
私は静かに呟くと、暖かな太陽を背にそっと瞳を閉じた。
「ようやく、君も安心出来るな。」
「...お疲れさん。」
寺田屋の皆から、おめでとうと声があがる。
...帰りたく、ない。皆と出会ったのも...。
龍馬さんと巡り会えたのも、結局ぜんぶ、神様の悪戯なのかな?
あの日、あの時あの場所で、貴方と出会えたこと…。
ぜんぶぜんぶ、誰かが描いた筋書きだったの…?
だったら私は、今…。
彼に“ありがとう”と、心の底から伝えたい。
湧き上がってくる感情を、彼に残したい。
少しでも、私が“ここ”に居たことを刻みたいの。
例え、私がすぐに消えてしまっても、
この時代に後悔を残さないように。
今、貴方に伝えるよ龍馬さん。
---
----
-----
「皆、ありがとうございます。」
嘘。
この時代に来て、初めての嘘。
もう、ここに残ることが許されないのなら、
きっと最初で最後になると思う。
自分で導き出して、選んだはずだった"答え"も、
どんどんあやふやになって...。雲行きの怪しい空みたい。
「私、支度してきます。」
部屋を、出る。
私は、どうしたいんだろ。家族や友達をあっちに残して…。
一体どうするつもりなんだろう。
でも、やっぱり…
「ッ...。帰り、たくないよッ...。」
部屋を出た途端、急に天気が崩れたみたいに...。
さっきの雲行きの悪い空が土砂降りになる。
どうして、だろう。
どうしてこんな事になったのだろう...。
今、この場にいない、彼の名前を呼ぶ。
「...龍馬、さん。」
彼の名前を、呼ぶ度に思う。
この時代で、こんなにも愛おしい、大好きな人に出逢えたのに。
何故、今私は未来に引き寄せられてるの?
離れてばなれになる運命ならば、最初からここに連れて来ないでほしかったのに。
「...娘さん?」
ふと、名前を呼ばれた。
…その声で、一番愛おしい人だと分かる。
“泣き顔を見せたくない。”
私の弱くて、中途半端な自意識が振り返るのを拒否する。
「…どうして笑ってくれんが?」
龍馬さんの自然な言葉が、氷柱のように胸に突き刺さる。
私が今まで笑ってこれたのは、龍馬さんがいつも隣にいたから。
離ればなれになると分かった今、私は笑顔を繕うことが出来ない。
「……。」
「…すまん。」
…その言葉に、私は龍馬さんを振り向く。
どうして、どうして謝るの?
私は、貴方に感謝を伝えたいのに…。
また、空回りしてしまった。
私に、勇気が足りないから…?
強くなるにはどうしたら良いの…?
私は、何も無い廊下に向かって龍馬さんの名前を呼んだ。
…無情にも響き渡る彼の名前。
「…龍馬さん…。」
何度名前を呼んでも、満たされることのないこの想い。
龍馬さん、弱くてごめんね。
-土佐藩・坂本龍馬-
わしは、庭へ出て一人思い更けていた。
...あん子が泣いちゅうがを見てしもうた。
それはまるで雨露のようじゃった。
「天女様の涙なぞ見とうなかったのお...。」
"帰りたくない"
あん子は確かにそう呟いた。
近い内に戻ることを分かっていて話しかけた、わしは本当に臆病者じゃ。
「...もう暫くは"泣き虫龍馬"の称号は拭えんか。」
この世から、過去も未来も消えてしまえば、
あん子と自由に過ごすことが出来る。
「わしも、本当は帰したくないんじゃが...。」
一人、溜息雑じりに呟くとそっと瞳を閉じる。
どんな時でも、浮かんでくるのはあん子の笑顔ばかり。
「どうしたら、もう一度笑ってもらえるかの...。」
送りだす時には、わしも笑顔で送りたい。
...けんど、それは叶いそうにない。
こがにも胸が締め付けられては、最高の笑顔なんて作ることが出来ん。
そう、考えるとわしのあん子への言葉は、少し酷だったかもしれん。
「すまん...」
あん子の涙を見て、また一歩踏み出す勇気が奪い取られていく...。
どうすれば、強くなれるが...?
・・・
・・・・
・・・・・
ずっと、一緒に居れると思って貴方に捧げた詩。
そんなの、今じゃただ悲しいだけ。
龍馬さんと出逢ったあの夏の日に、戻りたい。
きっと今なら全てを受け入れられる。
今、あの日に戻れたら、私はきっと...。
今まで龍馬さんの傍で過ごしてきた日々を、もっともっと大切にしたはず。
「何で、私はここに居るんだろ...。」
自分の存在が馬鹿馬鹿しくなってくる。
貴方と過ごす為に、残ることを決意したのに...。
どうして、今帰されるのだろう。
手元にあるのは夏祭りのとき、龍馬さんと一緒に作った蜻蛉玉。
私の蜻蛉玉はとても不格好になってしまって...。
でも、龍馬さんは"可愛い"と言ってくれた。
二人で作ったもの同士交換して、私はいつでも傍に置いている。
龍馬さんがいなくても、寂しくないように。
...手に取って、眺める。
綺麗な硝子は、私の泣きそうな顔を映してる。
本当、情けないな…。
…でも、何でだろう。
この蜻蛉玉を見ていると、少しだけ、ほんの少しだけ心が軽くなる。
「...ありがとう、龍馬さん。」
私はそう呟くと、悲しそうに去って行ってしまった、龍馬さんの背中を追った。
龍馬さんの去った方向へ向かうと、お庭に着いた。
縁側に腰掛けている龍馬さんは、転寝しているようだった。
いつも、温かさが背中に滲み出ている龍馬さん。
...今日は寒そうに、凍えるように柱へ身を預けている。
「龍馬さん...。」
龍馬さんに声を掛けるけれど、まだ気づいていない。
...
そっと、横顔を見つめる。
...すっと一筋、乾ききっていない涙の跡。
龍…馬さん…?
何か、夢でも見ていたのかな…。
私は涙の跡をそっと指先で拭う。
「わっ…。」
次の瞬間、突然龍馬さんが私を抱き締めた。
「娘さん…。」
切なそうに私の名前を呼ぶ龍馬さんの声。
彼の声を聞くと…。
何故だか目元に熱いものが込み上げてくる。
「龍馬さん…。」
私が名前を呼んだその途端、
龍馬さんは私を抱く力を強めた。
「…わしは、おまんを帰したくない。」
…!
龍馬さん…。
「じゃがな、娘さん…。」
一瞬、切なそうに笑うと龍馬さんは続ける。
「わしは、おまんにずっと、笑っていて欲しい。」
龍馬さん…?笑っていて欲しいって…どういう意味?
確かに今、私は貴方の隣にいる。だから笑ってこれたんだよ?
一人じゃ…貴方がいなければ、私は笑っていられなかった。
「明日も明後日も、一週間後も、何年後も…。
わしはおまんにずっと笑っていて欲しいんじゃ。」
…そう言って無理やり笑っている龍馬さんを見て、胸が酷く痛む。
私だって、ずっと…永遠に龍馬さんに笑っていて欲しいよ。
…でも私、龍馬さんをこんなに苦しませてたんだ。
「この世は…未来へ続くこの道は、わしらが作っていくもんじゃ。
…寂しくなんて、ないじゃろう。」
「…それは、違います!」
思わず、声を荒げてしまう…。
だって龍馬さんは何も分かっていない。
私が居たいのは貴方が作った未来じゃない。
…いつでも太陽のような笑顔を見せてくれる、貴方の傍に居たいの。
「…龍馬さんはッ、何も…分かってない…。
いつも、こんなに…近くにいたのにッ…。」
私は、少なくとも私は龍馬さんのことを分かっているつもりでいた。
…間違いだったの…?一方通行の、勘違いだったのかな…。
「わしはおまんを…!」
…珍しく龍馬さんも声を荒げる。そして、私を強く抱き締めた。
「…離して…?」
この温もりを、手放したくないはずなのに…。
身体がそれを拒否する。
「……?」
「もうっ、離して…くださいッ…。」
私は龍馬さんの腕からそっと抜けると足早に部屋へ戻った。
…龍馬さんの背中を振り返ることはなかった。
・・・
・・・・
・・・・・
私の足は龍馬さんと別れた後、
あの神社の方を向いていた。
何故だか今、行かなければならない気がしたから...。
神社まで、続く道。
風に誘われ、やって来たこの地。
何も変わらないその景色と射すような陽射しは
龍馬さんと出逢ったあの夏の日を映し出しているみたい。
あの時はカナちゃん…、私のいた時代から離れてしまって
すごく不安だった。
…そんな私を温かな温もりで包み込んでくれたのは、誰でもない龍馬さんだった。
今は、その龍馬さんと離れてばなれになってしまうのが、怖くて堪らない。
それは、やっぱり龍馬さんが好きだから…。
もう、好きでは収まりきれない。
…でもこの気持が消えてしまえば、
私も龍馬さんもこんなに苦しまなくて良いのかな?
もっと、楽になれるかな…?
「…“好き”なんて、消えちゃえば良いのに。」
…思わず口から零れてしまったその言葉に、私は少しだけ後悔した。
しばらく歩いていると、神社が見えてくる。
風が、強く拭き如き、大きな音を立て、樹々は揺れる。
門を潜ると、見慣れた後姿。
「龍馬さん…。」
龍馬さんは縄文縄に向かって、手を合わせている。
風の音で、声は聞こえないけれど…。
私は、その切なげな背中にそっと抱きつく。
「龍馬さん…ごめんなさい…。」
何も分かっていないのは、私だった。
「娘さんもう、良いんじゃ。」
龍馬さんは少し振り向き、微笑しながらそう言った。
もう、良い…って…?
「…わしの考えだけで決め付けてしまってすまんかった。」
私の身体からそっと離れると、龍馬さんは頭を下げた。
「そんなっ、謝らないで…。」
でも、龍馬さんは頭を下げたまま続ける。
「やはり、片時も離れ難い。」
そして、すっと顔を上げると私を熱く、逸らせない位に強い瞳で見つめた。
「わしの…わしの我儘かもしれんが、本当はずっと傍に居て欲しい。」
…龍馬さん、ありがとう。
私は、やっと今伝えられる。
「龍馬さん…ありがとうございます。
ずっと、言いたかった…。私が、もし私がいなくなっても後悔しないように…っ。」
「…!」
私の言葉と共に、ぎゅっと強い力で龍馬さんに抱き締められる。
ずっと求めていたその優しい温度に、私は身を委ねる。
「娘さん…、愛しちゅう。例え、この身が朽ち果てようとも…。」
「…龍馬さん…。」
「やき、“ありがとう”はまだいらん!」
私の大好きな笑顔でそう言う龍馬さん。
この人の笑顔は、本当に心を満たしてくれる。
「…私は、龍馬さんのその笑顔にありがとうって言いたいの。」
真っ直ぐ龍馬さんの瞳を見て、“ありがとう”を伝える。
「…全く、おまんには敵わん。」
龍馬さんは私の髪の毛をくしゃりと撫でて自分に引き寄せた。
「…こんな辺鄙な神社から、まさか天女様が舞い降りてくるなんてのう…。」
私を撫でながら、静かに呟く。
「…私が天女様なら、龍馬さんは王子様ですよ。」
「王子様ぁ?」
「…女の子の、憧れの的です。」
龍馬さんは向日葵のように明るく嬉しそうに笑う。
「わしが女子の憧れか…。わしはおまんだけで十分じゃが…。」
「…私も、龍馬さんだけで幸せです。」
…傾き始めた太陽は、私達を明るく照らしていた。
龍馬さんと寺田屋へ戻った後、私は皆に“戻らないこと”を伝えた。
皆、驚いた顔をしていたけれど、どこかもう悟っていたみたい。
「君の涙を見た時から、僕は分かっていた。」
そんな、武市さんの言葉に皆愕然とする。
「武市おんし!こん子を泣かせたんか⁉」
食ってかかる龍馬さんを、武市さんは鋭く睨みつけた。
「彼女を泣かせたのはお前だろう龍馬。目を真っ赤にして…可哀想に…。」
「わっ!」
“僕なら…”と何か言いかけた武市さんに“にしし”と笑いかけ、
龍馬さんは私の腕を引き庭へ連れ出した。
「びっくりした…。突然過ぎです!龍馬さんは。」
「おお、すまんすまん。つい、な。」
ふと、横に目をやると、そこには一輪の向日葵。
「…龍馬さんみたい。」
思わず呟くと、龍馬さんは“何じゃ⁉”と私の隣にしゃがみ込む。
「…この向日葵、龍馬さんみたいだなと思って。」
「これがか?どうしてじゃ?」
沢山理由はあるけれど…。
「皆を、明るく照らし出しているからです。」
「皆…?」
「寺田屋の皆も、私も、いつも照らしてくれるから…。」
すると、いつも一直線な龍馬さんが、急に私の耳元で囁く。
「わしにとっての向日葵は、おまんじゃ。」
意地悪に笑う龍馬さんに比例して、私の顔も熱を帯びていく。
神様、どうか神様お願いです。
もう少し、もう少しだけ彼と一緒に過ごさせてください。
空を仰ぎ、そう願った私の横には
満開の向日葵のように笑う彼が、いつも隣に居てくれる。
「ありがとう。」
私は静かに呟くと、暖かな太陽を背にそっと瞳を閉じた。
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