「なかなか、晴れないなぁ...。」
今日も、空は顔を隠したまま。
ここ何日も、ずっと曇ってる。
おまけに、今日は雨が降っている。
「はぁー...。」
折角の夏なのに、何だか損した気分。
溜息がどんどん出てくる...。
「部屋に茸が生えてしまいそうだね。」
「へっ...?」
声のする方を振り返ると、そこには武市さんが立っていた。
「あっ、武市さん!」
「久方ぶり。元気にしていましたか?」
「はいっ、お陰さまで!」
「ふふ、お世辞が上手だね。」
「なっ...!」
お世辞なんて言ってないです!
とムキになる私に比例するように、武市さんの表情は柔らかくなってゆく。
「本当に、君は...。揶甲斐があるね。」
「武市さんってば...。」
久しぶりに見る武市さん。
軍服の時以来、切ってしまった髪の毛がまた元の長さに戻っていた。
本当に、結構会ってなかったんだ...。
「ところで・・・。」
「はっ、はい!」
...上の空だったから、また声がひっくり返りそうになっちゃった。
「薩摩藩邸での生活には慣れた?」
「あっ...。」
そう、武市さん達と寺田屋で過ごした時間は本当に僅かだった。
何度か襲撃に遭ったりして、その度に大久保さんが私を薩摩藩邸に連れて行こうとした。
『死にたいのか!!』
『っ...!』
いつかの大久保さんの言葉が、鮮明に蘇る。
大久保さんは、本当に私を心配してくれていた。
だから、本当は襲撃後なんて凄く危険なのにわざわざ私を迎えに来てくれた。
...最初は、皆と離れたくなかった。
でも、大久保さんの真剣な瞳と、本当に命を失うかもしれないって恐怖から、
私は床に座りこんだまま、立てなくなってしまった。
そんな私を抱きかかえて、藩邸へ連れてきてくれたのも大久保さん。
...正直今では、大久保さんなしの生活は考えられない。
「はい、とても良くしてもらっています。」
「へぇ?」
「...どうか、しましたか?」
「いや、意外だったんだ。」
「意外...?」
「大久保さんが、それほど君の事を大切に扱っているなんてね。」
「...!」
確かに、普段皆が見ている大久保さんからはあまり想像しにくいかも。
でも、大久保さんって、本当はすごく優しい。
硝子玉みたいな、綺麗な心と瞳を持っている。
...そして、誰にも言えないけれど、私はそんな大久保さんが、好き。
・・・
・・・・
・・・・・
「あっ...。」
障子の向こう側に、少し大き目な雨傘が見える。
きっと、大久保さんが帰ってきたんだ。
「武市さん、すみませんっ、少し抜けます!」
「あ、ああ...。」
折角来てもらった武市さんには手を合わせて謝る。
ごめんなさい、武市さん・・・。
心の中でそうつぶやく。
私はうっすらと大久保さんが滲む門へと走り出した。
・・・
「大久保さんっ!!」
「...小娘。」
「傘、ちゃんと持って行ってたんですね。」
「ああ、半次郎がな。」
「そっか...。」
なんでだろう、少し、悔しいような。寂しいような。
...気付けなかったのは、私なのに。
「何を暗い顔をしている、小娘。」
「...いいえ、何でもないです。」
「...小娘、半次郎に妬いているのか。」
「...!」
「妬いてなんかっ「そうか。...やはり、お前は小娘だな。」
「っ...!」
...やっぱりまだ、大久保さんにとっては小娘でしかないのかな。
名前を、呼んですら貰えない。
私は、何故だかとても悲しくなって、
折角向かいに出た大久保さんを待たないまま、また、藩邸の中へ戻り始めた。
「・・・。」
「・・・はぁ。」
あーあ、またさっきに巻き戻っちゃったみたい。溜息が止まらなくなる。
雨は、さっきよりも強くなっている。...そんな気がした。
-薩摩藩・大久保利通-
...一体、何なのだあの娘は。
笑顔で出迎えて来たと思いきや、
少し鹹かっただけで拗ねて先に行ってしまった。
小娘は、其れほど打たれ弱い女子だったか?
...いや、坂本君が"はちきん"と絶賛する程だ。
彼の言葉の信憑性は置いておいたところで、
あの娘は少しの事で落ち込まぬ精神を持っている。
「全く。」
小娘の為を想い、折角芸者から譲り受けた簪を渡してやろうと思っていたのに。
...また、小娘の心を逃してしまった。
「はあ...。」
...溜息、か。
私も小娘も似たような者ではないか。
偶然たる一致に不思議な感覚を覚えるも、駆け足で藩邸へ戻って行った小娘の背をそっと追った。
-土佐藩・武市半平太-
「娘、さん...?」
がらりと戸が開き、ふと目をやる僕を待ち受けたのは
息を切らしながら身体を左右に揺らし、
ふらりと部屋へ入ってくる娘さんだった。
「何か、あったのか?」
「...。」
「娘さん?」
僕の問いに答えることなく、彼女はへたりと力なく床に座り込む。
"娘さん。"
僕が再び名を呼ぼうとした、その時...
「っ、うっ...。」
「...えっ。」
突然、彼女は真珠のような涙をほろほろ落とし始めた。
「娘さん!」
僕が彼女の名を強く呼ぶと、彼女は小さく横に首を振った。
「っ私、もっと、強くなんなくちゃ...。」
「娘さん...。」
「利通さんにっ、認められるようなっ...もっと綺麗な女の人にならなきゃ...。」
「っ!」
その言葉を聞いた途端、僕の身体は電流が走ったかのように逆立った。
"利通さん。"
確かに、彼女は大久保さんの事をそう呼んだ。
・・・
・・・・
・・・・・
...僕は、無意識の内に彼女を抱きしめていた。
「っ、たけ、ちさん...?」
「泣かないで...。」
ああ、こんなにも細い身体で、彼女は一人苦しんでいたのか。
気付きもせず、何もしてやれなかった己が憎い。
「すまない...。」
「...っ。」
まだ泣きやまない彼女を、僕は暫く抱きしめていた。
この瞬間が、永久に続けばどれほど幸せなことだろうか。
彼女の大切な存在に、一瞬でも成れたならば、それだけで、僕は幸せだ。
・・・
・・・・
・・・・・
「さあ、もうお行き。」
「武市さん...?」
目を兎のように赤くした彼女から、僕はそっと離れる。
...僕の役目は、きっと終わったのだから。
「"利通"さんが待っている。」
「っ!」
僕の言葉に反応し、彼女の頬は朱色に染まっていく。
少し、意地悪だったかもしれない。
だが、これくらい許してくれ。もう、二度とは叶わぬ恋。
最後に彼女の照れる表情を焼き付けるくらい、良いだろう?
「武市さん...有難う、ございました!」
「...行きなさい。」
『武市さん、とても温かかったです。』
「っ...!」
去り際に、彼女が言った言葉は、止まることなく僕の頭を廻っていた。
・・・
・・・・
・・・・・
私は、武市さんの温もりが苦しかった。
あんなに強く、誰かに抱きしめられてたのは初めてだったから...。
「ごめんなさい...。」
...今日は、色々なひとに謝りたい気持ち。
なんで私って、上手に気持ちを伝えられないんだろう。
だから、心の中で呟く。
武市さん、心配させてごめんなさい。でも、ありがとう。
抱きしめられた時の熱が、まだ身体に残ってる。
利通さん、小娘でごめんなさい。
子供で、いつも迷惑を掛けてばかり。
でも、私は貴方が好き。
貴方のことを愛しているの。
貴方には秘密。
下の名前で呼んでるってこと...。
「利通さん...。」
「何だ、小娘?」
「ひゃあっ...!」
「...あまり、誘う声を出すな。」
嘘、気付かなかった...。
いつの間にか利通さんが私の背中に居たなんて。
...聞かれちゃった。
利通さんに隠していた、たった一つのこと。
「おい-----
「はっ、はい...。えっ?」
「文句でもあるのか?」
「っ...。」
...私のこと、名前で呼んでくれた。
「...有難うございます、利通さん。」
「...お前に、渡す物がある。」
その言葉と同時に、私の手のひらに置かれたのは、
透き通ったとんぼ玉が可愛らしい簪。
「私の前だけで、使え。」
「としっ、みちさん...。」
「...泣くな。」
「は、いっ...!」
そう言って私の肩を抱き寄せる利通さん。
そして、利通さんの顔が近付く。
...思わず、私は目を瞑った。
優しい温もりが触れたのは、唇ではなくて頬。
「あ、れ...。」
「"小娘"にはまだ早かろう?」
「利通さんっ!」
またからかわれた!
"いい加減にしてください"そう言おうとした、その時だった。
「んっ...。」
利通さんの唇が、私の唇と重なった。
「...。」 「...。」
『お前の唇は、癖になる。』
そう言って、利通さんは武市さんの居る部屋へ入って行く。
・・・。
私は、痺れる甘い感覚にふらつきそうになりながらも、
二人にお茶を入れに台所へ向かった。
・・・
「今日は、本当に有難うございました、武市さん。」
「...君が、元気そうで何よりだった。」
私は武市さんに深々とお礼する。
きっと、私が利通さんの前で素直になれたのも、
武市さんのお陰だから。
...武市さんは利通さんを横目で見て言う。
「彼女を二度と泣かせないで下さい。」
「当然だ。」
...私は誓う、絶対もっと強くなって、武市さんも、利通さんにも心配をかけないように。
「では、娘さん、お元気で。」
「はいっ、武市さんも、また皆で会いましょうね!」
ふわりと笑って歩いて行く武市さん。
...少し、胸がちくりと痛んだ気がした。
武市さんの姿が水平線に溶け込むのを見届けると、
私は利通さんの後に続いて藩邸へ戻っていく。
まだ、雨は降り続いている。
二人になった部屋で横になり、名前を呼び合った。
大切ななにかを、確かめるように。
「小娘。」 「大久保さん。」
「・・・。」 「・・・。」
『名を呼べ 呼んでください。』
・・・
・・・・
・・・・・
「利通さん...。」
「...それでは聞こえぬ。」
「利通さん...!」
「...まだ、足りぬぞ。」
...二人で呼び合った名前は、
大きな雨の音でかき消されてしまったけれど。
『愛している。』
利通さんのその声は、確かに私の耳に響いた。
・・・・・
・・・・
・・・
・・
・
とある晴れた日。
この間までの大雨は嘘だったみたいに、綺麗な晴れた空。
久々に寺田屋へと向かう朝。
煌々と照りつける日差しは、肌を焦がすみたいにじりじりと暑い。
「小娘、これを差してみろ。」
「...?はい。」
そんな私を見兼ねたのか、利通さんは私に一本の傘を差し出す。
「可愛い...。」
「...似合っている。」
利通さんは、私の手を引いてくれる。
それに答えるように、私も利通さんと自分の頭の上に傘を翳す。
道の途中、ふと後ろを振り返ると、傘で一つになった私達の影が、
大きなハート型を描いているように見えた。
・・・
雨遊び。
悪戯に響く雨音は、私と彼の距離を、少しずつ縮めてくれる、大切なもの。
今では消えてしまったその音。
気付けば私の心は雫が溢れ、空には虹が輝いていた...
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