「...お前...」

以蔵の手を、ぎゅっと強く握る。
...あんなに温かくて大きかった手は、
弱々しく...氷のように冷たい。


「...以蔵...。」

以蔵の赤い瞳は、ゆっくりと私の方を向く。
そして、静かに瞬きをする。

閉じては開く、閉じては開く...
当たり前の動きでも、今は特別なものに感じる。

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「...ごめんな...。」

"お前には、いつも笑っていて欲しい。それが、俺の願いだ。"


そう言って、私を未来へ帰そうとした以蔵。

私は...私は、自分の意志で貴方の傍に居ることを決めたの。

だから...どうか、謝らないで。


「私の知ってる以蔵はっ、もっと...格好良いよ。」

思わず泣きそうになるのを、ぐっと堪える。
だって、今泣いてしまったら...以蔵との約束は果たせないから...。

だから、私は精一杯の笑顔を作る。


「やはり...お前は笑っていた方がらしい...。」

「...っそう言うと思った。私、以蔵のことなら何でも分かっちゃうんだ...。」

「そうか...そうだったな、お前は、何でも俺のことをお見通しだったな...。」

「"だった"...じゃなくて、これからもだよ、以蔵...。」


...涙の窓を、必死に手で押さえてる。

ドンドンと叩かれ、開きそうになってしまう窓に、強く釘を打つ。


「...そうだな。」

ふわりと、とても優しく微笑んだ以蔵の顔。

もう、何時でも覚悟は出来ているように感じてしまって

私はまた窓が開きそうになる。

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透き通るような青い空と、燃えるような赤い以蔵の瞳。

私と以蔵は、そっと外を見つめた---




「俺は、お前の風になる。」

「いつでもお前の傍に在る事が出来る。」

「だから、いつでも俺を頼れ。」

「その風車が回り出したら、それがお前への返事だ。」

「忘れるな、いつまでも。...愛している。」

・・・

ドンッ、という音と共に私は神社から落ちた。

ここって...?あぁ、カナちゃんがキーホルダー無くしちゃった所だ。

...私、どこ行ってたんだろう。

手元には、合宿に持っていく用のスクバ。
足元には...。

何だろ、これ...。

可愛い...風車?


「綺麗だな...。」

思わず風車を手に取る。


29.jpg


そのとき。


"***。"---


一瞬、私の名前が呼ばれた気がした。

カナちゃんではない、男の人の声。

でも、何故だかとても懐かしい声。


手に取った風車に息を吹きかけてみる。

くるくる...と風車の柄は綺麗に混ざる。


"***...!"


・・・‼確かに、今呼ばれた。さっきの、声の持ち主に…。

それに...、何故だろう。
この風車を見ていると、決して忘れる事のできない、誰かを思い出す。


…突然、後ろから強い風が吹く。

スカートが捲くられないように手で押さえる。


"***!俺は、ここにいる。"


・・・懐かしい声、私の名前を呼ぶ、その声。どうして、思い出せないんだろう。
きっと、さっきまで一緒にいたはずなのに。

確信なんてないけれど、感じる。



自然と、涙が溢れる。心地の良い風に

身を任せると、涙は勝手に乾いてゆく。

でも、これは誰かが...この風が私の涙を拭ってくれているみたいに感じて...。

力強いその感覚を私は、きっとすぐに忘れてしまう。

だから、この胸に閉じ込めておきたい。
いつまでも、忘れないように---



「どうして、泣いているの?」
"---俺は...ずっと。"

ふと、後ろから声がした。

赤い瞳と髪の毛。

どこか見覚えのある、その顔と...

聞き覚えのあるその声は...

さっき、私の名を呼んだ、
懐かしい声の持ち主に似ている気がした。


「…っ、何でもないです。
少し思い出すことがあって...。」

「思い出す…?」
"俺は傍に居るのに---"


「何か、思い出したくても...思い出せない事があるみたい。
自分でも、よく分からないんだけど…」


---
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-----


風車を見ながら呟くと、まるで、風車が何か語りかけてくるみたいで...。

また、温かさと一緒に涙が込み上げてくる。

ざわざわと音を立てて鳴る風は、私の不思議な問いかけに答えてくれている気がした。

ふたりの声と風の音しか響かないこの空間に、

私は…遠い遠い世界へ戻って来たような、

そんな錯覚に襲われる。


"…戻りたい。遠いあの世界へ。"
そんな感情が心に滲む。


「っ...。どうして...。どうして、私は、帰ってきたの...?」

自分でも意味の分からない言葉が、口から零れ落ちる。


「泣かないで...。」
"…俺が見たいのは、お前の笑顔なんだ。"

「っ...だって、もう、二度と会えないかもしれないのに...。」


私は、私は一体誰のことを話しているの?ねぇ、誰か教えてよ。

こんなにも大切な人なのに、どうして思い出せないの...?


"ぎゅっ"-----


「っ...?」

見覚えのある...でも多分初めて会うの彼は、私を優しく抱きしめてくれた。


「大丈夫。」
"もう、泣くな。"


…懐かしい手の温もり。
彼の、私よりもずっと大きな手が、私の涙を拭う。

それが、とても心地良くて...。

さっきの風みたいに、とても優しくて...。


すごく、安心してしまう。初めて会う人の…はずなのに---

そして、彼から発せられる言葉の奥には深い意味があるように感じて...。

彼が言葉を発するごとに、何か私の心の中に声が響いている。

それは、さっきの風と、きっと同じ声。


「ありがとう。」

優しく抱きしめてくれた彼にお礼を言うと、彼は優しく微笑んだ。


「もう、大丈夫?」
"...すまない、***。"

...あ、まただ。

彼からの言葉の後に、私にはもう一つ別の声が聞こえる。

すごく、心地が良い。そして、やっぱり同じ声。

...でも、何で謝るの?


「そろそろ、行かなきゃ。」

私はそう言って、彼に別れを告げて歩き出そうとした。


でも、どこかお互いに名残惜しくて、愛おしくて。

今、離れたらもう二度と会う事が出来ないんじゃないか...って、

そんな不安に駆られた。


その瞬間、二人の声が重なる。


「「あのっ!」」

『貴方の、君の名前を教えて---?』


・・・
・・・・
・・・・・

あの不思議な出会いから、明日で一年が経とうとしている。

私と彼が出会ったのは、

日差しの強い、夏の京都。

半日分の記憶を無くした私は、気が付いたら元の場所に倒れていた。


でも、帰ってきたはずなのに、

何故か涙が止まらなかった。

その時、理由は分からなかったけれど、今なら分かる気がするの。


あの日出逢った彼と、重なる人が居て…。

私は、その人に恋をしていた。

その人は、私の為に自分を犠牲にしたこと。


そして、今はもう、いないことも。

---
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-----

今、私は彼と付き合っている...というか、

お互いに気持が通じ合っている。


あの夏の日以来、何故か

"付き合う"

って言葉が軽く感じるようになった。


きっと、私と彼はそんなに浅いものじゃない...はず。そう、信じている。


明日は、記念日としてあの神社に行く事になっている。

合宿以来、一度も足を踏み入れなかった場所。

何故か、まだ行ってはいけない気がしていた。


でも、今は。

もう行っても良い時期なんじゃないかと思う。

私は明日の新幹線の切符を片手に、眠りについた---


「ん・・・。」

目が覚めると見えてくるのは、あの日と似た青い空。

きっと私達は、今日を迎える為に出会ったんだ。


電車に乗り遅れないように、私は駆け足で駅へ向かった---


---京都駅での待ち合わせ。


「あっ、おはよう!待った?」
彼の姿を見つけ、私は一目散に走る。

「大丈夫、丁度今着いた所だから。」

"丁度良かったね"と顔を見合わせて笑う。今、とても幸せな気持ち。


...でも、あの日外れた心のピースはまだ埋まっていない。

どこを探しても、あのピースだけは見つからない。


炎天下の中、二人は神社に向かって歩く。

一年って、とってもあっと言う間で...。

あの日から一年経った...なんて、まだ信じられない。


「熱いな。」

「うん...去年より熱いかも。」

「...そうか?」

「えー、絶対そうだよ!」


二人で境内の階段を昇る。

そこには、一年前と変わらず、古ぼけたお寺があった。


リュックの中から、あの日の風車を出す。


「まだ、それ持ってたんだな。」

彼が少し切なそうに笑ったのが気になったけれど、

この風車のおかげで彼と出会えたんだ。

そんなに簡単に忘れるわけにはいかない。


「何にも変わらないなぁ、ここ。」
何気なく、お寺の柱に触れる。

---
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-----

・・・?

何か、今までと違う感覚が私を襲う。


-----
----
---

「ここ...。」

...記憶の中のピースが溢れるように出てくる。



あの夏の日、私に何があったのか。

その"出来事"の後、私はどう過ごしていたのか。


そして、どうして現在に戻ってきてしまったのか。

全てのピースがぱちりと揃った時、


ふと脳裏に"彼"が浮かんだ。



「以蔵...。」

やっと、思い出せた。

会いたくて会いたくて、仕方がなかった彼に。


以蔵に。


「やっと、気が付いたか。」後ろから声がする。

そこには、さっきまで"彼"、が居たはずだった---


でも今、確かに以蔵が立っている。

...身に着けている洋服は彼と同じ。
どうして・・・?


「お前は、気が付くのが遅い。」

「えっ、い、以蔵なの...?」

「あぁ。」

「ずっと、今まで私が一緒にいた人は、以蔵だったの...?」

「黙っていて、すまなかった。」


・・・。本当に、以蔵が私の目の前に?


「お前が、どうしても心配だったんだ。」

「でも、どうやって...?どうして、私の近くに来れたの...?」

「天に、祈った。」

「...天、に...。」


「い、以蔵...。以蔵っ!!」


やっと会えた。

本物の、本当の以蔵に。

ずっと会いたかった、以蔵に。

私が以蔵に抱きつくと以蔵はあの夏の日のように、

そっと優しく私を抱きしめてくれた。


「あの時の...あの声も、以蔵だったの?」

「...何とか振り切ろうとしたんだが、やはり気づかれていたか。」

「...以蔵、有難う。私に思い出させてくれて、本当に有難う。」


以蔵が来てくれなかったら、私は一生、胸に大きなパズルを抱えたまま、

人生を歩んでいた。


そして一生解かれる事のない大きな不安で、

胸が掻き毟られ続けていたはず---


「これからは、ずっと一緒にいられる...?」

「あぁ、勿論だ。」


その言葉はあまりに単純で、あっさりしていたけれど、

私は、その言葉以上に嬉しい言葉は見当たらないくらい、安心できる言葉だった---


---帰りに、神社でお参りした。

以蔵は、何かに必死で祈っているように見えた。

...どうやって来たかは分からないし、

もう、聞こうとも思わない。

だって、確かに今、私の傍には以蔵がいるから。


もう、一人じゃないから---


・・・


境内の石階段に、二人で座る。


「以蔵は、あの時"風"になってくれるって言ったよね。」

「あぁ、言った。」

「私は、元の世界に戻ってきた時から何となく、
この風はきっと大切な人なんだろうなって思ってた。
その時はまだ、以蔵だって気が付いてなかったけれど...。」

「・・・。」

「以蔵が今、ここに居てくれてる事、凄く嬉しい。
...だから、私も恩返しがしたいの。」

「...恩返し?」

「...以蔵が私の風なら、私は貴方の空になる。ずっと、離れなくても良いように。」

「...!」


以蔵に、強く抱き寄せられる。

懐かしいこの感覚。


胸にそっと仕舞った風車を取り出して、

ふぅっと吹いてみる。

カラカラ...と小さな音を立てて回る風車。


「なあ。」


...ふと以蔵に呼ばれて横を向くと、

私の手から風車を取って、

二人の口元を隠し、そっと唇を重ねた。


「愛している、...やっと言えた。」


赤く燃える以蔵の瞳に写る私は、泣きそうな顔をしている。

「今日くらい、泣けばいいさ。」

そう言うと、以蔵は私を強く抱きしめた。


懐かしいこの感覚、

私が、ずっと探していた、

この気持ちと温もり。

自然と溢れる涙を私は拭うことなく流し続ける。

傍に座る以蔵の大きな手が拭ってくれるから。

02DSC07839.jpg

風に乗せて、届け、届け。

隣に座る、君のもとへ。


ずっと、大好きな人へ---
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