潮風1

「ミーン、ミンミンミンミーン…。」

「ジー…ジッ、ジジーッ…」



…京都の夏、残りの命が少ない蝉達は、
“これでもか”と見せつけるように
鳴き続けている。


「あ、暑い…。」


京都はこの地形のせいからか、
夏と冬の寒暖の差が激しい。
…冬は辺り一面雪だらけだし、
夏はこの有様。

居間で朝餉を食べ終えた私は、
満腹感とこの何とも言えぬ脱力感で、
畳に仰向けになっていた…。


「…姉さん、大丈夫っスか?」

「娘さん、着物が乱れている。
僕が直してあげよう。」
…暑さのせいか、涼しげな顔をしつつも、
武市さんが少し可笑しい。

「「なっ、先生 武市‼」」


…慎ちゃんが心配してくれたり、
武市さんが注意してくれたり、
龍馬さんと以蔵がハモったり…
と、今日も朝から寺田屋はとても元気。


…私を除いては。


…皆がまた軽い言い合いになっているのも、
とてもじゃないけど止める気になれない。

「止めてください。」
…と言うべきだった私の口が発してしまったのは…。



「海に行きたい…。」



….
…..

その言葉に、全員の動きが
綺麗にぴたりと止まった。

…じーっと私を見ている四人の
視線に耐えられず…。

“何でもないです。”
と弁解しようとした、その時…。


「ほう、なるほど海か…。」

…何か閃いたかのように言う龍馬さん。
それに続いて…。


「…海か。たまには良いかもしれない。」

「確かに今日いつもに増して暑いし…
海日和っスよね!」


黙っている以蔵を他所に、
二人は続けた。


私も、思わず言い返してしまう。


「あのっ、冗談ですから...。気にしないでください。
それに、皆さんも忙しいじゃないですか...。」


"そのことなら..."と何か言いかけた龍馬さんよりも
大きな声で、武市さんが言った。


「そのことなら、君が気に病む必要は無い。
無意識の内に発してしまったのだろう。
ならば、それが本意だ。」

「は、はぁ...。」

...武市さんの力強い説明に、思わず納得。
武市さんは続ける...。


「それに今日は会合が入っていない。
...気分転換には丁度良いのでは?」

「おおっ、賛成じゃ!!」

「俺も大賛成っス!」

「...先生のお申し付けならば。」


...と皆、以蔵以外...は武市さんの
珍しい発言に大喜び。


でも...。

「あのー...、皆さん。」

私の言葉に、また皆の動きがぴたりと止まる。


「...本当にご迷惑じゃないんですか?」
...わざわざ連れて行って貰うんだもん。
やっぱり、遠慮しなきゃ。


「おまんを迷惑だなんて考えたことは
一度もないき!」

...そう言って龍馬さんが笑ってくれると、
とても心が軽くなる。


「そうっスよ姉さん!海だって、
俺達が行きたくて行くんスから。」

「ああ、中岡の言う通りだよ娘さん。」

「...ああ。」


「ありがとうございますっ!!」
...皆の優しい言葉に、思わず深々と
頭を下げてお礼をする。


「そうと決まれば早速準備じゃ!」

龍馬さんの言葉に返事をすると、
皆部屋に戻り、用意を始めた。

「私も用意しなきゃ...。」
私は一人ぽつりと取り残された部屋で呟くと、
自分の部屋に戻った。


・・・


「確か...。」

確か...記憶は定かじゃないんだけど、
持ってきたスクバの中に水着があった気がするんだよね。


...
....
.....


「あっ、あった...。」

スクバを物色していると、案外あっさり見つかる。
...しかも、ゴーグルと帽子、一式セットで。


「何か...私って...。」


こういう所ばっか妙に用意が良いんだよね私。
これも、確か自由時間にカナちゃんと
海に入ろうと思ってたから持ってきた訳だし...。


...まさか、幕末で使うなんて夢にも
思ってなかったけど。



「さてと。」
先に着替えておいた方が楽だよね。

私は水着の上に着物を羽織って
向かうことにした。


...
....
.....


「遅くなってすみませんっ」

いやぁ...久々のスク水で着替えに手こずっちゃった...。
どっちが前か後ろか分からなかったし...。

でも、準備は万端!
大きめのバスタオルも、
ゴーグルも帽子も、
全部スクバに詰め込んできた。

一人、少しだけ満足感に浸っていると。


「遅い!この馬鹿娘が...。」
...その声と同時に私の頭に降って来た、
少し大きめのこぶし。

「痛っい...。」

...私の事を馬鹿娘なんて言う、この人は。


「おっ、大久保さんっ!?」

何で、どうしてココに大久保さんが...?
今日って、寺田屋の皆だけじゃなかったっけ...?

...頭がぐるぐるしていると、
後ろから更に声がした。


「おいっ、大久保さん!面白娘を叩くな!」

「おやおや、皆さんお揃いで。」


その声に、思わず振り向くと…
怒り顔の高杉さん、
そして彼とは正反対で涼しげな表情で
こちらに歩いてくる桂さんがいた。

なんで、長州の二人まで…?
ますます混乱してきた…。

「何だ高杉君、私はこの小娘を
躾けてやっているだけだ…。」

「なっ、何だと⁉
“躾け”ってのはな、叩くだけじゃならんぞ‼」


…軽い言い争いになっている二人を見た桂さんは、
“ふっ”と優しく微笑み、
私の頭に“ポン”と手を乗せた。


「驚かせてしまったかな?…実は坂本君に誘われてね。お邪魔させて貰ったんだが。」
…龍馬さんが?

「ついで…と言ってはならないが、
大久保さんも誘ったらしいね。」
“全く彼らしいね”と笑う桂さん。

龍馬さんが、誘ったんだ…。


「おや、少し残念そうだが…。お邪魔だったかな?」

っ、少し威圧感が…。
桂さん、優しいし全然構わないんだけど…。
人数が居た方が楽しいし…。

…でも、何か寂しいな。


「全然構わないですよ!皆が居た方が楽しいし…。」

「…そうかい?なら嬉しいな。」

そう言って、私に手を差し出してくれる桂さん。
…少し戸惑ったけれど、私は自分の手を桂さんの手の上に軽く乗せた。


すると桂さんは優しく笑って歩き出す。

…次の瞬間。

「あっ、小五郎お前何してんだ⁉」
叫びながら高杉さんがこっちに向かって走ってくる。

「わっ!」
思わず後ろに倒れそうになる私。

…それを優しく受け止めてくれたのは、
龍馬さんだった。

「まったく、桂さんも案外隅に置けんのお…。」

龍馬さんは呆れながら
そう言いつつも、
私の手をぎゅっと握ってくれた。

「やはり、おまんはわしが見ちょる!」

向日葵みたいな明るい笑顔で、
笑う龍馬さん。
…それが嬉しくて、私も思わず
頬が緩む。

私は龍馬さんの手を同じくらい、
握り返すと横並びになって歩き出す。


…龍馬さんに、似合ってるかなぁ、私。
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